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2007年度神奈川県学生バスケットボール秋季大会 23位

〔予選リーグ・Fブロック〕1勝3敗で4・5位順位決定トーナメントへ
 10/14(日)16:40~ 鶴見大学体育館
       ●神大Ⅱ部 79-80 神奈川工科大

 10/21(日)15:30~ 神奈川工科大学体育館
       ●神大Ⅱ部 82-96 湘南工科大

 10/28(日)11:40~ 防衛大学校体育館
       ●神大Ⅱ部 61-84 北里大

 11/11(日)15:00~ 産業能率大学湘南体育館
       ○神大Ⅱ部 77-62 麻布大

〔順位決定トーナメント〕
 11/18(日)13:20~ 関東学院大学小田原体育館
       ●神大Ⅱ部 76-79 職業能力開発大

 12/ 2(日)10:00~ 神奈川大学湘南ひらつか体育館
       ○神大Ⅱ部 79-70 神奈川工科大

2007年度 神奈川県学生春季大会 3部リーグ4位

 〔3部予選リーグ〕 2勝1敗で順位決定トーナメントへ進出
  4/15(日)15:00~ 神奈川大学湘南ひらつか体育館
        ●神大Ⅱ部 72-88 関東学院大六浦
  4/29(日)13:20~ 神奈川大学湘南ひらつか体育館
        ○神大Ⅱ部 93-64 神奈川歯科大
  5/27(日)9:30~ 北里大学体育館
        ○神大Ⅱ部 95-73 文教大

 〔3部順位決定トーナメント〕
  6/3(日)11:00~ 鶴見大学体育館
        ●神大Ⅱ部 57-117 玉川大
  6/17(日)15:00~ 関東学院大学六浦体育館
        ●神大Ⅱ部 89-110 関東学院大Ⅱ部

 3部リーグ優勝は関東学院大六浦、準優勝は玉川大、3位関東学院大Ⅱ部、4位神大Ⅱ部、5位田園調布大、6位文教大、7位神奈川歯科大、8位鶴見大でした。

Ⅱ部バスケットボール部について

 Ⅱ部バスケットボール部は、河内鶴朗・堀田脩・伊藤和美氏(S41入学)、土方敏裕・佐々木康博氏(S42入学)が発起人となり、昭和43年秋の学生総会でクラブとして公認され誕生しました。前田忠儀氏(S41入学)、飯田登氏(S43入学)、逸村得雄・長沢良成(旧姓小沢)・西田富男・平能孝一・打田一夫氏(S44入学)らも入部し、昭和44年県学生バスケットボール連盟に加入しました。
  当時連盟には、東海大、専修大、相模工大(現湘南工科大)、関東学院大、横浜国立大、横浜市立大、防衛大、神大(Ⅰ部)、神大Ⅱ部の9チームが加盟し、総当リーグ戦が行なわれていました。
   部員は神大の第二部に在籍する学生が主で、カリキュラムの関係で、一部のクラブに入部できない学生が1・2名入部していました。
   昼間は皆、定職を持っていましたので、授業終了後の、水曜と土曜日が練習時間、リーグ戦は日曜日、皆さん都合があり、試合に参加できるメンバーを揃えるのに苦労していたようです。


   卒業してから早32年が経つ。今もって当時のことが昨日のように脳裏に浮かび思い出されてくる。それほど当時は活気に満ちていたし、また充実していた。
 大学だけは何とか行きたいと思っていた。当時、同じ会社(川崎の東芝タービン)から同期生5人が神奈川大学の2部に通っていた。
 当初、65Kgあった体重が48Kgに下がったが、仕事もおもしろく、またクラブも、社内のバスケット部の先輩に誘われて入部し、大学でも授業が終ってから週2日の練習をやりながら、よき先輩や同僚に恵まれ、毎日が生き生きしていたように思う。若さもあったのかもしれない。
 その後、13年間勤めた会社を辞めて、大阪で5年過ごし、島根県の出雲で高校の教員になった。
 ここで、基本も分からないバスケット部の顧問をやる羽目になり、見よう見真似で監督業にはまり込んでいくこととなり、練習や合宿、遠征などを重ね、県下で8位までになることができた。
 益田に転勤になってからも、部活動がおもしろくて、続けてやった結果、県内はもとより中国地区の方々との人脈も広がり、仕事の上でも大変に役立っている。
 今年4月、55歳になったが松江に転勤になり、単身赴任で、昔を振り返りながら奮闘しているところである。私の人生は、寄り道ばかりして随分苦労はしたが、良い経験になっていると思っている。〔道満正寿 ファースト・ブレークVol.7(2003.8)より〕

 昭和44年から48年の現役時代、二部ながら県学連に加盟し、リーグ戦で連敗記録続伸の中、4年次で初めて勝ち取った一勝の思い出は忘れることができません。
 それは、相模工業大学(現湘南工科大学)を相手に延長戦で勝利し、東海大学体育館のロッカー室で、選手全員が流した涙は、夜間部で一勝することの重みでもあった。その仲間は一生の友であり、これまで潰れずに活動してきた、二部バスケット部の活動の原点でもある。
 昼間働き、夜間の授業終了から体育館で練習し、終了後行きつけの焼き鳥屋「三善」で反省会。店は部室代わりでもあり、家庭的で連帯感も作りあげた。
 その後、後輩たちが県学連のリーグ戦で第3位入賞を果たしてくれた。その折の賞状は、「三善」の上がり座敷に永らく飾られていた。苦労して8年かけて卒業した主将が、横浜国大体育館で号泣して受け取った賞状である。その賞状はその後、3号館裏に夜間部専用の部室が与えられ、そちらに飾られていたが、学園紛争の際に部室が取り上げられ行方不明となったが、横浜キャンパス再開発で、旧部室棟より発見され、現在19号館にある部室に顕彰されている。先輩たちの思い出が沢山詰め込まれた、貴重な賞状なのである。〔平能孝一 ファースト・ブレークVol.11(2005.8)より〕


 
絶大なる応援ありがとうございました。

   神大二部が県学連に加盟したのは昭和44年(1969年)でした。当時は一大学1チームの原則を特別の計らいで第二部学生の唯一のチームとして加盟承認していただき、以来これまで39年間公式戦に参戦させていただきました。平成17年(2005年)、神奈川大学の夜間部生募集停止により、昼間働きながら夜間授業終了後に横浜体育館で練習に励み活動してきました当部は2008年3月で廃部となります。2007年12月2日の神奈川工科大学戦の勝利を最後に県学生連盟の公式戦を終了いたしました。県学生連盟の公式戦に連続出場してきましたことを誇りに思う多くの卒業生とともに、県学生連盟に刻んだ戦績を記憶に留め青春の日々の思い出を閉じることにします。ありがとうございました。連盟の今後のご発展を心からお祈り申し上げます。〔県学生バスケットボール連盟HP投稿記事より転載 投稿者:Committeeさん〕

 今後は、先輩が残してくれた伝統を元に、再出発をすることを考えております。ご声援有難うございました。
 


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